第5週目 信仰の継続的訓練

第35日目 みことばで祈る(その3)(第5週目)

みことばの学び 詩篇121:1-8(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。


M1.
①あなたは今も神の約束に焦点をあてていますか。絶えず祈りましょう。


M2.
①みことばで祈る練習をする
 昨日行った同じことを練習しましょう。でも、きょうは詩篇121:1-8で行いましょう。あなたの心に触れた聖句を書き、その聖句から神の約束を握ってください。


M3.
①その箇所を読んだ後に、あなたが実践すべきことを書いてください。


M4.
①この箇所から受けた多くの祝福をだれに分かち合いますか?


【教え】
初代教会はみことばで祈ることを実践しました。彼らは迫害にあったとき、神のもとに来て祈りました。すると突然、聖霊がみことばで祈ることを彼らに悟らせました(使徒4:25-26)。彼らがみことばで祈ったとき、天と地がお互いに触れました。天が教会に触れたとき、その場所が揺れ動き、彼らは聖霊に満たされました。何が起きたのでしょうか。彼らに聖霊がみことばを運ぶことを許されたとき、出会いもしくは集まりが起こりました。聖霊によるその集まりがとても力強かったので、会衆が根本的に変えられました。
※meeting 特にクエーカー教徒の礼拝会を言う。

 大きな恵みがそのすべての者の上にあった(使徒4:33)。
 土地や財産を売って、それを彼らは貧しい人たちに与えた(使徒4:34)。
 彼らは1つ心になってソロモンの廊にいた(使徒5:12)。
 彼らは人々から尊敬されていた(使徒5:13)。
 主を信じる者がますます加えられた(使徒5:14)。
 エルサレムの付近の町々から、大勢の人々が集まってきた(使徒5:16)。
 すべての病人や汚れた霊に苦しめられている人たちが癒された(使徒5:16)。

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第34日目 みことばで祈る(その2)(第5週目)

みことばの学び 詩篇42、43(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
[ 42 ]
42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
42:3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神はどこにいるのか。」と私に言う間。
42:4 私はあの事などを思い起こし、御前に私の心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。
42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
42:6 私の神よ。私のたましいは御前に絶望しています。それゆえ、ヨルダンとヘルモンの地から、またミツァルの山から私はあなたを思い起こします。
42:7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。
42:8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。
42:9 私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」
42:10 私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるか。」と私に言っています。
42:11 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。

[ 43 ]
43:1 神よ。私のためにさばいてください。私の訴えを取り上げ、神を恐れない民の言い分を退けてください。欺きと不正の人から私を助け出してください。
43:2 あなたは私の力の神であられるからです。なぜあなたは私を拒まれたのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか。
43:3 どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。
43:4 こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。
43:5 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。


M1.
①私たちはすでに、親密なステップ(能動的なステップ)に入っています。神様との会話をし続けましょう。


M2.
①みことばで祈ることを実践しましょう。
 詩篇42篇と43篇を、昨日学んだようなやり方で実践しましょう。みことばを読んで、あなたの心に触れる聖句を味わいましょう。そして、そこから受けた恵みを書き出してください。


M3.
①聖句から啓示を受けた後で、あなたが実行すべきことを書いてください。


M4.
①あなたがこのような祈り方で受けた恵みを、必要を覚えている人に分かち合ってください。


【教え】
 神様が私たちに聖書を与えた目的は、私たちが神様を個人的に知ることができるためです。イエス様は一日も欠かすことなく、御父と会っていました。イエス様は御父と歩みました。イエス様は御父が行うことを見て行い、御父が語られたことに耳を傾けました。それゆえ、私たちがみことば(神様ご自身)を読むとき、私たちは神様と会うのです。だから、私たちは神様の臨在を感じながら、穏やかにみことばを宣言することができるのです。みことばが私たちのために仕えてくださる、その時、私たちは天国に触れ、私たちの心は変えられるのです。書かれた神のことばを通して、私たちは神様の人格を感じることができます。私たちが祈るみことばを通して、神様のご性質と出会い、そして知ることができるのです。あなたの心に触れる神のことばの臨在を楽しむのです。神様の臨在がマイルドに感じるまで、神様の臨在の中に生きるのです。神様は怒って、あなたから去ったわけではないので、とがめを感じないように。覚えておいてください。神様は遍在であり、事実、神様は私たちと共におられます。だが、私たちの肉体は限界があり、また弱さがあるので、神様の臨在をいつでも感じることができないでしょう。なぜなら、神様の臨在はダイナミックだからです。神様をとてもリアルに感じるときもあれば、神様をリアルに感じないときもあります。すべてのものには時があると、伝道者の書は言います。もし、私たちが神様の臨在をいつでも、ずっと感じることができるならば、私たちは活動的な愛を持つことはできないでしょう。愛には私たちが感じたり、求めたりする部分が含まれていなければなりません。神様は私たちとの間に愛の関係を建て上げたいのです。私たちが神様を見つけ出し、捕まえるために、神様はわざとご自身を隠しておられるのです。

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第33日目 みことばで祈る(その1)(第5週目)

みことばの学び 詩篇23:1-6(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


M1.
①一日も欠かさず、神の約束に焦点を当て続けましょう。あなたの人生にチャレンジを与える、今日のディボ-ション箇所のために祈りましょう。


M2.
①みことばで祈ることを実践しましょう。
 詩篇23:1-6を、ゆっくりとイメージしながら読んでください。読んでいくうちに、あなたの心に触れる聖句があるでしょう。聖句があなたの心に触れるとき、イメージし続けながら、何度も何度もその聖句を読んでください。同時に、みことばを、あなたの言葉として、主に向かって祈ることもできます。神様が触れてくださるまで楽しんだら、次の聖句へと移動していきましょう。詩篇23:1-6から、触れられたことをどんなことでも、書き出しましょう。


M3.
①聖句から啓示を受けた後で、あなたが実行すべきことを書いてください。


M4.
①あなたが触れられたことを家族やセルメンバーに熱心に分かち合ってください。


【教え】
マダム・ガイオンが聖句で祈ることを初めて実践した人です。彼女はフランス人でしたが、霊的に死んだ時代の伝統的な教会から迫害されました。マダム・ガイオンは1600年ごろの人ですが、そのような祈りをライフスタイルとして実践したので、文字通り神の栄光に満たされました。彼女は投獄され、彼女が書いた『イエス・キリストの深さを体験する』という本も焼かれました。迫害と投獄の間も、彼女は神の栄光で満たされ、喜んで生きていました。やがて、彼女は世を去りました。彼女の本はどうなったのでしょうか?彼女の本は町の人たちに配られ、ついには町中の人々がリバイバルを体験しました。その本から誕生した1つのグループは、クエーカー教徒です。クエーカー教徒の一部の人たちはアメリカに移住し、そこで力強いリバイバルをもたらしました。マダム・ガイオンの本によって影響されたもう1つのグループは、ジョン・ウェスレーに影響を与えたモラビア教団(ツェツェンドルフのグループ)です。私たちは、英国、ヨーロッパ、そしてアメリカにまでも長期のリバイバルの火をもたらしたジョン・ウェスレーを知っています。

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第32日目 神様の約束を見る(第5週目)

みことばの学び イザヤ51:1-5(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
51:1 義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。
51:2 あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。
51:3 まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
51:4 わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。
51:5 わたしの義は近い。わたしの救いはすでに出ている。わたしの腕は国々の民をさばく。島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に拠り頼む。


M1.
①どこにおいても、敬虔なライフスタイルを実践しましょう。今から瞑想する真理が、理解できるように祈りましょう。


M2.
①シオン(教会)に対する神様の約束は何ですか?シオンへの神様の癒しは何ですか(3)

②シオンが癒されるとき、国民に何が起こるでしょう(4-5)
 
③シオンの癒しにおける私たちの果たすべきことは何ですか?私たちは、だれをそして何を見るべきなのですか?


M3.
①神様の約束をどのくらい力強く保持していますか?神様から受けた約束を握り、そしてそれを書きましょう。あなたの人生において毎日欠かさず、神様の約束を告白し、感謝をささげましょう。


M4.
①この祝福をだれに分かち合いたいですか?


【教え】
神様の約束を握っている人を神様は喜んでおられます。なぜですか?なぜなら、神様は契約の主であり、ご自身の約束を果たされるからです。それゆえ、だれでも、神様の約束を握って、神様のもとへ来るなら、恐るべき回復の力を経験できるでしょう。神様は個人、家族、そして地域教会を回復してくださるでしょう。私たちは、どのようにして神様の約束は確かであると分かりますか。2節で「アブラハムとサラを見よ」と言われています。神様がアブラハムを祝福し、子孫を増やされたことを見なさい。「アブラハムとサラを見よ」とは、ただ学ぶだけではなく、そのことを考え続けるということです。それは、状況と環境において、私たちの思いを越えたことが起こったとしても、神様の約束を握っているということです。神様の約束が成就されなくても、アブラハムとサラは約束が与えられてから、約25年間、神様をほめたたえ、感謝し続けました。あなたは約束が成就されなくても、神様に感謝したことがありますか?あなたは道の半ばで、諦めて、神様の約束を手放してはいませんか?神様の約束は、信仰のテストを通過したときに、成就されるのです。信仰のテストとは何でしょうか?信仰のテストとは、たとえ、現実において約束されたとおりにならなくても、信じ続けているということです。あなたの人生の終わりまで、神様の約束を握っていましょう。

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第31日目 敬虔における力を持つ(第5週目)

みことばの学び Ⅱテモテ3:1-9(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
3:1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
3:2 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
3:3 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
3:4 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
3:5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。
3:6 こういう人々の中には、家々にはいり込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、
3:7 いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。
3:8 また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。
3:9 でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりのばあいのように、すべての人にはっきりわかるからです。


M1.
①あなたは敬虔なライフスタイルを実践していますか?神様の約束を感謝することによって、神様と会話し続けてください。

M2.
①終わりの日に何が起こるでしょう?(1)
 終わりの日に、人々はどのようになりますか?(2-4)

②教会では何が起こりますか?彼らの敬虔さに対して何が起こりますか?(5-6)

③それゆえ、彼らの敬虔さに力がなくなり、結果的にどうなりますか(7)
 彼らはだれと比べられますか?彼らに何が起こるでしょう。(8-9)


M3.
①私たちの敬虔さに力を持つための必要な段階を発見しましょう。あなたの計画にとどまり続けましょう。


M4.
 このディボーションから受けたものを他の人にお分かちしましょう。


【教え】
私に、同性愛をしている男性の友人が過去にいました。この同性愛の男性は、教会を去りました。なぜなら、説教者が同性愛は罪であると堅く言って、説教によって彼が攻撃されたからです。長い年月が経って、私の友人がこの男性と再び会いました。彼は友人に、「私は同じ言葉で話す会衆(教会)に加わることができて、とっても幸せです」と言いました。彼は会衆に加わっていると感じていました。私の友人はそれを聞いて喜び、「主をほめたたえます。それは、あなたが過去の同性愛の生活をやめて、変わったということですね」と言いました。私の友人は彼の返事を聞いてショックを受けました。「いいえ、私はまだ昔のままですよ。私がこの会衆から学んだことは、私たちはあくまでも恵みによって救われたということであり、恵みによって生きることです」。これが、力をなくした敬虔と呼ばれるものです。デリック・プリンスは力ある敬虔を「人が神様を礼拝するときに、その人を変える力である」と定義しています。それゆえ、もしだれかが、敬虔の道が好きであっても、敬虔な生活をしないならば、その人はただ演技をしているだけだということです。なぜ、人々は敬虔の力を所有することができないのでしょうか?それは、その人が生ける神様と出会っていないからです。ヤコブは神様と出会ってから変わりました。あなたは敬虔であるとき、神様と会っていますか?今、神様と出会い、神様と会うことを始めましょう。

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第30日目 神を喜ばせること(第5週目)

みことばの学び ヘブル11:1-6(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。


M1.
①きょうのみことばが理解できるように祈りましょう。


M2.
①あなた自身のことばで信仰の意味を表現してください。(1)

②もし、だれかが信仰を持っているなら、どうしてそれが分かりますか。(3)
 つまり、信仰を持っている人から、何が分かりますか?

③神の約束は成就すると証ししている大勢の証人がいます。この証しをしている人たちはどのような人たちですか?(2)
また、以下の人によって、どのような証しがなされていますか?
a.アベル(4)
b.エノク(5)信仰のゆえに?何が神を最も喜ばせましたか?私たちが神のところに来るとき、私たちの態度はどうあるべきですか?(6)

M3.
①以下のあなたの分野において、神の約束を見出し、しっかりと握りましょう。
a.家族  b.仕事  c.奉仕、特にあなたが問題を経験したとき。


M4.
①最低でも一人に、きょうのディボーションで受けたことを分かち合いましょう。


【教え】
 あるとき、息子の誕生日に最高のプレゼントをあげたいと願っていた父親がいました。何が最高か考えたあげく、BMXの自転車を息子に買ってあげることに決めました。父親は、自転車を買って、それを会社の倉庫にしまっておきました。それから父親は息子と会話をし始めました。父親は息子が本当にほしい物を知るために質問をし始めました。息子はたくさんのチョコレートとキャンディーが欲しいと答えました。最後に、父親は息子に第一に必要なものは、チョコレートやキャンディーではなくて、自転車であることを説明しました。なぜなら、息子は遠くの学校までいつも歩いていたからです。突然、息子は悟って、「お父さん、自転車が必要だったことを忘れていたよ」と言いました。その日、息子はBMXの自転車を願い求めました。父親はただちに息子に告げました。「私は自転車を買ってあるが、それは倉庫に保管してある。息子よ、明日それを家に運んでくるから私を信じるんだよ」。それが信仰です。祈りとは、まだ存在していないものを願い求めることではありません。信仰による祈りとは、存在しているもの、しかし、天国の倉庫に保管されているものを願い求めることなのです(エペソ1:3)。天の父は、天国の倉庫にあるものを願い求めるために、聖霊を通して私たちに確信を与えてくれます。信仰とは神が霊的な領域において創造された出来事を見るための能力なのです(ヘブル11:3)。敬虔とは何か。敬虔になるとは、神様があなたのために創造されたものを発見するためのプロセスなのです。つまり、創造されたものが、天国の倉庫(霊的領域)から現実の世界(自然の領域)に移動されるまで、焦点を当て続け、あきらめないということです。そのプロセスが敬虔と呼ばれるのです。敬虔になることの中に約束が含まれていることを忘れないように。

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第29日目 敬虔の意味(第5週目)

みことばの学び Ⅰテモテ4:6-11(暗誦聖句:Ⅰテモテ4:8
4:6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。
4:7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。
4:8 肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。
4:9 このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。
4:10 私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。
4:11 これらのことを命じ、また教えなさい。


M1.
①あなたは主のライフスタイルを真似ていますか?それを続けましょう。


M2.
①私たちは何を避けるべきですか?また、何を訓練すべきですか?(7)

②敬虔はどのような益をもたらすことができますか?(8)
 敬虔になるように自分自身を訓練することはどれだけ大変ですか?(9-11)

③6節を読んだのち、敬虔であることの意味をあなた自身のことばで表現してください。


M3.
①あなたは毎日、敬虔であるために一生懸命になっていますか?神の約束をつかむことが出来るように、信仰のことばによって、どのように養われることができますか?


M4.
①あなたが得た新しいことを熱心に他の人に分かち合いましょう。


【教え】
ある人たちは、毎週、日曜日の礼拝に出席するだけで、敬虔になれると考えています。敬虔になるとはどういう意味でしょうか?敬虔とは、私たち自身を常に鍛錬(訓練)しなければならないものです。つまり、敬虔であるということは、ライフスタイルを意味します。敬虔になるということは、神の約束が与えられている信仰のみことばによって自分自身を養うために鍛錬するということです。敬虔であることは、今の生活と将来のための神の約束が含まれています。それゆえ、神の約束を握り、神の約束に焦点を合わせ続けることを意味します。セル集会に出席し、一週間に一度礼拝に出席することが私たちを敬虔にするのではありません。私たちは、来る日も、来る日も、敬虔でなければなりません。どのようにしてそんなことができるでしょうか?もう一度言います。あなたが問題を経験するときに、神の約束を握るという基本的なこと(あなたの反応)から始めます。そして、神の約束を握ることとそれに焦点を合わせることを活動的に行うことによって、活動的レベルを継続します。あなたがそれを適切に行うなら、自動的に敬虔なライフスタイルを持つようになります。聖書には数千の神の約束があります。神はご自身の約束をあなたにつかんでほしいのです。なぜなら、ご自身の約束を実現させることを熱望する神様だからです。それゆえ、敬虔になるとは、信仰にあって、私たちが成長するための鍛錬であると言うことができます。そして、その信仰が神の約束の実現のために私たちを導いてくれるのです。

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